中山道ふれあいエコウォーク中の北原さんからの便り その7

5月19日 垂井宿発
 5月19日、岐阜市の西端、河度宿を出発して大垣市に入りました。各務原拠点の山口代表と会員で全盲の木本文代さんは、昨日今日と二日間全行程を歩かれました。昼食は大垣拠点会員手作りの豊富なメニューのバイキングでした。
 昼食後、蓮生寺で記念撮影。そのあと幕末、降嫁する皇女和宮が揖斐川を御座船で渡る時、色づいたもみじの一枝を船べりに立てて都を偲んだといわれることを記念し、昭和4年同地に記念碑が建てられて公園化された小簾紅園(おずこうえん)でゆかりのもみじの植樹を行い、季節外れのレンゲの咲く道を進み、築200年以上経っている家を市が借り受け町のボランティアが運営している無料のお休み処「長浜屋」お茶をいただき一休み。垂井宿に到着して垂井町長が激励に来てくれました。今日も一日お疲れさま!ホット一息の夕食時。

5月20日 番場宿発(滋賀県米原市)
 5月20日、 垂井宿を発って西へ天下分け目の関ヶ原を過ぎて美濃国と近江国の国境「寝物語の里」へ、写真中央の小さな溝が今でも岐阜県と滋賀県の境です。(北から南を向いて撮った写真です)
 「寝物語の里」とはその昔、国境の小川をはさんで美濃側に両国屋、近江側に亀屋という宿が軒を連ねていて源平の頃、兄頼朝に追われ奥州へ逃れた源義経を慕って家臣の江田源蔵がその後を追い、美濃側の宿で宿の主人に義経の働きぶりを話していると、偶然近江側に宿をとっていた義経の妻静御前がその声に気付き、再会を喜びあい二人は寝るのも忘れ夜明けまで語り合ったという伝説から「寝物語の里」といわれています。
 県境を越え米原市の柏原宿へ入り柏原宿歴史館で昼食、館内にはに沢山の福助さんが飾られていました。福助さんは天明年間、伊吹艾(もぐさ、当地伊吹山の名産品)本家の亀屋佐京店の律儀で正直者の番頭福助さんが元祖と云われています。
 柏原宿から豊富な湧き水の中に梅花藻の咲く、醒ケ井宿を通り今日1日で22Kmを歩き番場宿へ到着してお疲れ気味の皆さん。

写真はいずれも携帯電話から送信されたものです。

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