歴史講座「軍師 黒田官兵衛波乱の生涯」
 今年の歴史講座は6月14日と7月12日の両日、NHKの大河ドラマの主人公黒田官兵衛の軍師としての活躍ぶりを、その時代背景とともに歴史研究家の仲摩邦夫さんにお話しいただいた。その中で、特に私の印象に残ったのは官兵衛のやさしさである。
 先ずは彼の城攻め作戦に現れる。例えば鳥取城の兵糧攻めである。秀吉とともに毛利陣営の拠点を攻略した一つで、攻守双方の人命の損失を抑えるため、直接攻撃するのは最後の手段とした。その後の備中高松城の水攻めも同様の戦法と言える。
 官兵衛の最初の主君小寺政職への対応でも、官兵衛のやさしさが明らかになる。主君が毛利、織田方どちらに付くか迷っているとき、データを基に信長陣営に与するよう進言した。政職は一旦は織田方に付いたが、その後官兵衛を裏切り彼を窮地に追い込む。結局は実子とともに捕えられるが、官兵衛は政職を見逃し最後は看取りまでしている。政職の子はその後、姓を天川と変え家は連綿と続いているという。(実は私の知人の一人が天川さんであり、今回の講座で以前、彼から聞いていた話が確認できてよかった。) 
西ブロック 石津 日出夫

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